生成AI授業が学校にもたらす“教育の裏側”:創造性と公平性のせめぎ合い

生成AI授業が学校にもたらす“教育の裏側”:創造性と公平性のせめぎ合い

来年度より、私が担当している二校の専門学校において、生成AIをテーマとした授業が始まる。いずれの授業も私が担当する見込みであり、これまでの教育実践に新たな内容が加わることになる。本取り組みは、単に授業数が増加するという事実に留まらず、教育現場におけるAI導入の進展を象徴する一例といえるだろう。

私自身、これまでも新しい技術やツールに対しては、まず個人的な興味や好奇心を出発点に探索を行い、その成果を実務や教育現場に応用してきた。生成AIの活用も同様であり、初めは趣味的な実験として始めた取り組みが、やがて体系的な授業へと発展した経緯を持つ。こうした経過は、新技術が教育領域に浸透していく典型的なプロセスの一端を示している。

一方で、AIを教育者として位置づける「AI教師」の概念には慎重な検討が必要である。

特に評価や採点の場面において、AIの判断基準は設定された模範解答や統計的傾向に基づくものであり、想定外の表現や創造的な発想を柔軟に評価することは難しい。このため、AIの活用が公平性や効率性を向上させる一方で、創造性や多様性の軽視につながる懸念も存在する。

教育現場において「誰が評価しても同じ結果が得られるべき」という考え方は一定の合理性を持つ。しかしその一方で、教育は知識伝達だけでなく、学習者個々の価値観や独自の発想を育む過程でもある。

評価基準の画一化は、公平性の確保という利点を持ちながらも、学習者の自由な思考や個性の発露を抑制する可能性を孕んでいる。こうしたジレンマは、AIの教育現場への導入において最も重要な課題の一つといえるだろう。

さらに、AIと人間の対話を比較すると、その本質的な違いが浮かび上がる。AIは膨大な知識やデータを基に効率的な情報提供を行えるが、そのやり取りは主に「情報交換」にとどまる。

対照的に、人間同士の対話には価値観の衝突や感情の共有、相互理解のための葛藤といった要素が不可避であり、そこから生じる学びは単なる情報獲得を超えた「成長の契機」をもたらす。教育において重要なのは、まさにこうした人間的プロセスの蓄積である。

以上の観点から、AI導入は教育の効率性を高め、知識習得を支援する有力な手段となり得る一方で、人間的成長を促すためには人間教師の存在が不可欠であるといえる。

今後は、AIと教育者がそれぞれの特性を活かし、相互補完的に学習環境を構築していく方向性が求められるだろう。そのためには、教育者自身がAIの特性を正しく理解し、効果的な活用法を模索し続ける姿勢が不可欠である。

 

注意:AIの進化は日進月歩のために、これら記事においては情報が古い場合もありますのでご注意ください。